1980年代 洋楽ロックのミュージックシーン パート1

今回は1980年代洋楽ロックのミュージックシーン パート1としてお送りします。

80年代のロックというのは進化をしはじめて,色々なアーティストがジャンル、

サウンド、ファッションを取り入れた時代、MTVと言うメディアが登場し

映像と音楽の両方から売れる名盤なども多く出てきました、

そんな時代を簡単ではありますが振り返りたいと思います。

1980年洋楽ロックのミュージックシーン

 

 

この年からニューウエーブの時代、ロックに他のジャンルを加え
新味を出すことが流行した。中でもファンクは人気の要素で
複数のグループが取り入れている、その代表格がトーキングヘッズだ

 

 

 

78年にブライアンイーノがプロデュースしたモアソングスと79年のフィアオブミュージックは
その試みを推進、リズムとグルーブ感を強調したサウンドにしあげた。
そして遂に80年にそれらの実験をもとにカッティングエッジセンスを入れロックに落とし込んだ
名盤リメインインライトをリリースするこれが彼らの80年代を代表する名盤となる。

 

 

 

 

 

 

 

そしてロックの分岐点、転換期となったこの年二人のスーパースターが亡くなっています、
60年代にロックの基本形を作ったビートルズのリーダー、ジョンレノン
新作ダブルファンタジーを発表した直後にニューヨークの自宅前でファンに射殺された。

 

 

 

もう一人はレッドツェッペリンのドラマー、ジョンボーナムは新作インスルージアウトドアを
リリースし全米ツアーのリハーサル中の事故死によりこの世を去ってしまった。
バンドには彼に変わるほどのドラマーはおらず解散となってしまった。
結果的には一つの時代が終わったと言えてしまうのであろう。

 

 

 

 

 

 

また、この年パンクは死んだと考えていたメジャーレーベルが見向きもしなかったが
インディーズレーベルに多くのハードコアパンクが多くチャートに食い込み
まだ死んでいないことを証明した。

 

 

 

1981年洋楽ロックのミュージックシーン

 

 

 

80年代のムーブメントを語るのに引き合いに出されるのが、ニューロマンティックだ
その代表格がデュランデュラン、アダムジアンツらだ、今となっては当時そう呼ばれていた
としか言いようがないが、これも初期はネオグラムと呼ばれグラムロックの要素に
ニューウエーブの形でポップに仕立てビジュアルのイメージを一新し見た目を強調した。

 

 

 

音楽的ムーブメントというよりはスタイルと傾向を示すものと言った方がいいのが
ニューロマンティックだ、このスタイルが鋭かったのはスパンダーバレエのように
でかいイカツイ男たちがレースのついたブラウスやグリッターの素材の服を着ていたことだ、
中でもデュランデュランやヒューマンリーグはアメリカでもヒットし
第2次ブリティッシュインヴェイジョン
と呼ばれ60年代に続く大きな現象を生んだのであった。

 

 

 

 

 

 

 

このほか70年年代パッとしなかった、REOスピードワゴンが路線を変えアルバム禁じられた夜で
15週間全米チャート1位となるヒットを飛ばす。また、70年代も活躍していた、ステックス、
フォリナーなどが産業ロックとしてメインを飾って行くのである。女性グループゴーゴーズもデビュー
この年は先ほども紹介したニューロマンティックブームが本格的に起こる、
そして何をとってもアメリカでMTVが放送を開始しプロモーションビデオがどんどんと台頭する

 

 

 

 

 

 

 

1982年洋楽ロックのミュージックシーン

 

 

 

70年代末にデビューしたプリンスは80年代早々ローリングストーンズのツアーの前座に
抜擢され遂に全米チャート一桁に入るアルバム1999をリリース、マルチ奏者による
その新しい表現は若年層をはじめ多くの人が飛びついた、それを受けてそれまでの
彼の旧作もチャートの登場した、しなやかな態度愛らしいメロディ性も存分に生かされ
それが84年の彼の代表作パープルレインへとつながっていく。

 

 

 

また70年代活躍したドゥービーブラザースがこの年解散し7月から9月までラストツアーを敢行
そして、この年ぐらいから大物同士のコラボが出だし、ポールマッカートニーとスティービーワンダー
のエボニーアンドアイボリーが英米ともにヒットし大きな話題を呼んだ。
11月にはあのマイケルジャクソンのアルバムスリラーが発表され、83、84年とアルバムから
数曲のヒットを出し世界を制覇していくのである。

 

 

 

 

 

 

 

この年近辺に産業ロックと呼ばれるミュージシャンがたくさん現れてくるのである。
ジャーニー、トト、フォリナー、ステックス、REOスピードワゴン、サバイバー、
これらのグループはニューウエーブの時代になってもハードロックやプログレなどの
旧体制の音楽を展開、ファッションセンスがあるわけでもないのにヒットし受けていた

 

 

 

 

 

 

 

しかしながら、70年代のハードロックやプログレなどより明るく、曲展開もシンプルで
敬遠しているファンもあったが、メディアでの受けがよく巷でもよく流れていた。
これが産業ロックと呼ばれたが、彼らの才能はアメリカのポップカルチャーにあげられ
時代の適役になり記憶に残るものとなった。

 

 

 

1983年洋楽ロックのミュージックシーン

 

 

 

80年代に入ってこのままロックが下火になっていくかという時に現れたのがU2だ、
演奏や音作りは素人でパンクから引き継いだ精神で独自の音世界を築いていた。
80年のデビューからロックを素直に吸収した彼らはこの年のアルバムWARで
英国のチャート1位を獲得、このアルバムにはサンディブラッディサンディや
ニューイヤーズデイなど初期を代表する曲がそろっている。

 

 

 

 

 

 

また、70年代のハードロックがパンクと融合しヘビィメタルが生まれる、
その代表格がアイアンメイデンやジューダスプリーストだ、そしてそれにより過激さを
追求したスラッシュメタルもアメリカで生まれる、その中心的な存在がメタリカだ
その他スレイヤー、アンスラックス、メガデスとともにスラッシュメタル四天王と呼ばれた。
パンクが否定したハードロック、メタルがいつの間にか融合していたのである。

 

 

 

そして、マイケルジャクソンのビリーシーンが全米チャート1位になりこの後アルバム
スリラーからゾクゾクビックヒットが生まれる、デビッドボウイもレッツダンスで英米1位をとり
ポリスがアルバムシンクロニシティで米英1位に輝く、シングル見つめていたいも米英1位に輝く
その反面、60年代から活躍していたザフーが解散を表明、また、70年代ハードロックで
活躍したシンリジィが解散を表明、9月のドイツ公演を最後に解散をする。

 

 

 

 

 

 

1984年洋楽ロックのミュージックシーン

 

 

発表は82年ながら83年から84年にかけてヒット曲を出したアルバムがあのマイケルジャクソンの
スリラーだ、全9曲中7曲がシングルヒットしたからすごい、そして多くの人の記憶に残る
ビデオクリップ、映画仕立てのスリラー、そしてその驚異的なダンス、大物プロデューサーや
西海岸の敏腕演奏者の協力もありマイケルジャクソンの創造性が遺憾なく発揮された
作品であります。共演者もビート・イットではギタリストにエディ・ヴァン・ヘイレンを起用
ガールイズマインではポールマッカートニーと共演、ビリー・ジーンのPVでは
ムーンウォークを披露した、これらはご存じのとおりだ。

 

 

 

 

 

 

 

また、この年ブルーススプリングスティーンボーンインザUSAが大ヒット、当時アメリカを賞賛し
愛国主義者の歌とらわれていたが、これは大きな間違いでベトナム戦争でなくなった仲間に
捧げた歌だったのである、当時まだその後遺症が80年代まで続いていたのだ、
ビリージョエルもグッドナイトサイゴンを発表そ兵士たちの鎮静歌とした。
アメリカ社会がその意味を問いかけ苦しんでいたことを示しているかのようである。

 

 

 

そしてこの年はMTV最初の全盛期と呼ばれる時期だ、マドンナのライクアバージン
プリンスのパープルレイン、シンディローパーなどMTVの申し子たちだ、音楽性のもならず
ルックスも備えかねたスターたちが続々と登場してくる、UKのカルチャークラブ、
デュランデュラン、ユーズリミックス、ビジュアル系のアーティストたちもMTVとダッグ
そしてどのジャンルのアーティストもPVを制作、MTVに流れてゆき全盛期を迎える。

 

 

 

音楽シーン

Posted by J.B