1960年代洋楽ロックのミュージックシーン パート2

22/05/2020

1960年代の洋楽、特にロックはまさにこれから伸びてゆく時代であります、
そんなロックにスポットをあて、各年ごとの動きを
簡単ではありますが振り返ってみたいと思います。
パート2では、1965年から1969年までを振り返ります。

 

1965年洋楽ロックのミュージックシーン

ボブ・ディランは初めてロックバンドを従えて録音した「ブリンキング・イット・ホーム」
に続きディラン史上最高の「ライク・ア・ローリングストーン」をリリースし
ヒット中にフォーク・フェスティバルにエレキバンドを従え登場した為
大ブーイングをあびてしまった、純粋なフォーク主義者が裏切りと称したのだ、

 

しかし賛否両論起こしながらもライク・ア・ローリングストーンを含む歴史的アルバム
「追憶のハイウェイ61」は大ヒットとなり、この後フォークロックという
分野が大きくなり、色々なアーティストがデビューしてゆく。

 

その代表各がザ・バーズだ、4月リリースのディランのカバー
「ミスター・タンブリンマン」でデビュー、大ヒットする。
そしてバーズ以降タートルズ、ママス&パパス、ザ・ラブなど
フォークロックバンドが続々登場した。

 

また、64年から続いているブリティッシュ勢がアメリカ進出果たし、
次々に全米チャートを圧巻した、たとえばサーチャーズ、ピーター&ゴードン、
デイブ・クラーク・ファイブ、ハーマンズ・ハーミッツなどがいた。
ピーター&ゴードンはポール・マッカートニーから提供された曲が大ヒット、
ハーマンズ・ハーミッツはビートルズのように主演映画を作った。

 

このようにブリティッシュ勢の勢いは止まらず
ブリティッシュ・インビテーションというロック史にのこる現象となった。

 

 

1966年洋楽ロックのミュージックシーン

とんでもないギタリストがいると噂が業界に流れた、
それが革新的なプレイで時代築いた、ジミ・ヘンドリックスの登場だ。

 

元々リトル・リチャードやアイズレー・ブラザースのバック演奏していたジミは
アニマルズのベーシストチャス・チャンドラーに見いだされ、
アメリカからイギリスにわたりジミ・ヘンドリックス&エクスぺリアンスを結成し
クラブギグからスタートしその演奏が大きく評価されデビューとなり
翌67年1月に「ヘイ・ジョー」でいきなり全英6位のヒットとなる。

 

また、エリック・クラプトンがヤードバーズを脱退し
ブルースブレーカーズ加入するもアルバム1枚で脱退、
7月にはあの伝説のグループ、クリームを結成、
ブルースロックにジャズの即興演奏を取り入れた、
新時代のロックへと進むそれがハードロックへと発展した。

 

ほかにもビーチボーイズが「ペット・サウンズ」というロック史上に残る名作を発表、
それまでのサーフロックとは違い、メンバーのブライアン・ウィルソンの
天才ぶりが発揮され完璧なサウンドを手に入れた。

 

これに影響を受けたのがビートルズのサージェント・ペパーズだから
画期的なアルバムだ。今なお影響力を持っている1枚だ。

 

 

1967年洋楽ロックのミュージックシーン

67年1月ドアーズがデビュー作「ハートに火をつけて」が全米1位を記録した、
そしてのアルバムに収録されている「ジ・エンド」は11分半にも及ぶ狂気の大作
これがドアーズ生み出した最大の功績「詩の朗読とロックの合体」を作りだした。

 

そしてこのころよりロック界にドラッグがはびこり
ドラッグ使用を思わせる楽曲が増えていった。
特にLSDが広がりサンフランシスコではジェファーソン・エアプレイが
「ホワイトラビット」などのドラックの使用を示す曲を発表。
グレイトフル・デットはライブにおける長時間演奏にはドラックの効果を高めると言う。

 

また、ローリングストーンズのミックとキースが麻薬所持で逮捕され、
ビートルズがサージェントをリリース直後LSDを使ったことを公言している。
そしてドラックが生んだ文化サイケデリック・ロックへと発展してゆく。

 

ギターではエフェクトを通し特徴的な音作り、テープ逆回転、
新しい音階、詩には超現実的で難解な言葉を入れたりとどんどんと変わっていった。

 

ジャニス・ジョプリン、バース、ビーチボーイズ、ヤードバーズ、ビートルズ、
ローリングストーンズ、などもサイケデリックに染まっていった。
この年に米西海岸で初めて大きなフェス、モンタレーポップフェスティバルが開催される。
しかしながらサイケデリック・ロックは60年代が終わるとともに終結していった。

 

 

1968年洋楽ロックのミュージックシーン

あのルーリードが加入していたベルベット・アンダーグラウンドが
デビューするもアルバムやライブは不評となり期待はずれとなるが後年、
オルタナ勢から年を経るごとに評価され今なお続いている。

 

また、サイケデリック路線が下火になっていき過去へと目をむけた。
バーズ、ザ・バンド、ビートルズ、ストーンズら大物も
サイケデリックロックからの脱却を図っていく。
ロックンロールの原点にもどりビートルズはバックインザUSSR、
ローリングストーンズはジャンピングフラッシュなどを発表している。

 

そして、ついにこの年怪物レッドツェッペリンが誕生した。
レッドツェッペリンのギタリストジミーペイジは
在席していたヤードバーズの表現力が限界だと悟りレッドツェッペリンを立ち上げ、
同じスタジオミュージシャンであった、ジョン・ポール・ジョーンズを誘い、
結成にあたり彼の望む以上の力量をもった新人、
ロバート・プラントとジョン・ボーナムに出会うそして、
ハードロックという新しい域に突入していくのである。

 

 

1969年洋楽ロックのミュージックシーン

1969年8月15日からの3日間ニューヨーク郊外で
大規模な野外コンサートウッドストックが行われた、
サンタナ ジャニス・ジョプリン、ジョーン・エバンス、
ジミ・ヘンドリックス ザ・フーなど32組が出演予定であったが
連日の悪天候での中断で大幅にスケジュールが遅れ、
大トリのジミ・ヘンドリックスがプレイしたのは4日目の朝9時であった。

 

この野外コンサートウッドストックが伝説となったのは
ライブ以上に予想を超えた混乱だった。
前売りは18万枚ではあったが結果的に40万人が訪れ
多数がフェンスを破って入場し無料コンサートと化した。

 

そして周辺は出演者も着けないほどの交通停滞、
けが人、ドラック横行など市が災害要請を出すほどの事態であった。
この模様は映画にもなっている、まさに伝説のコンサートであった。

 

そのほか、多くの人気バンドが解散し
有能なメンバーが集まり新しいバンドが生まれた、
CSN&Yやハンブルパイ、ブランド・フェイスなどがそうである、

 

なかでもブランド・フェイスはハイドパークで10万人規模の
フリーコンサートを行いアルバムもセールスを記録した。
しかしながらこの時期のグループは長続きせず短期間で解散している。

 

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Posted by J.B