1980年代 洋楽ロックのミュージックシーン パート2
1985年洋楽ロックのミュージックシーン
80年代の中期に活躍したのがザ・スミスだ、彼らは80年代の英国の競争社会になじめなかった
人たちの影の部分を担う存在だったのだ、その音楽は強者たちがニューロマンティック支持し
それになじめなかった者たちが彼らの普段着のバンドに共感した、85年にリリースした
ミートイズマーダーは全英1位になるもバンドは長く続かず、84年から87年までで終わる。
後のオアシスやストーンローゼスらは彼らの影響を受けている。
1月にはリオで20万人規模の大型ロックフェスが開催され、
クイーンやゴーゴーズ、AC/DCなどが出演している
3月にはマイケルジャクソンらが主体となったチャリティープロジェクトのUSA FOR AFRICAの
We Are The Worldを発表、世界的ヒットとなり7月にもUKミュージシャンが主体となった米英の
LIVE AIDEも開催されレッドツェッペリンやフー、クイーンなどが参加大成功を収める。
ロックスターたちが世界に目を向けアフリカの飢餓に為に、正義の精神を発揮し役割を果たした。
また、80年代から始まった大物同士のコラボが8月に登場デビッドボウイとミックジャガーによる
ダンシングインザストリートが大ヒット。60年代のカバー。
1986年洋楽ロックのミュージックシーン
この年からヒップホップの黄金時代の幕開けとなっていく、この時代のヒップホップといえば
RUN DDMC彼らが幕開けを切り開いた、すでに85年にレイジングベルで有名にはなっていたが
エアロスミスとの共演ウォークディスウェイで全世界に名を知られヒップホップの
存在を知らしめたのである。サンプリングというのが出始めたのもこのころからです。
1月にはあのロックンロールホールオフェイムが設立され第1回を迎えました。
プレスリーやチャックベリーが殿堂入りしました。
7月そのチャックベリーのバースデーライブにエリッククラプトンとキースリチャーズらが
参加この模様は後にヘイルヘイルロックンロールとして公開
1987年洋楽ロックのミュージックシーン
このころ、LAメタルバンドが数多く出現した、その頂点に君臨したのがガンズアンドローゼスだ、
デビューアルバム アペタイトフォーディストラクションが7月に発表される
当初は地元のクラブなどで耳の早い連中でしか話題になっていなかったが、
シングル,ウエルカムトゥジャングルがラジオで流れるやいなや状況は一変し、スリリングで
エネルギーたっぷりな演奏は人々を虜にし結果この曲は名曲となり、アルバム自体も
最終的には全米1位になり全世界で3000万枚以上を売り上げ、デビュー盤にしてキャリアで
最大のセールスとなった。
そして80年代はLPからCDへと変わっていく年代でもある、82年に登場し広まっていく
このCDを開発を進めていたのがソニーとフィリップス、CDの規格は統一されておらず
当初11,5センチだったが12センチで統一すると当時のソニー社長が決めた
収録時間74分ということ、これはベートーヴェンの第九が収まるようにと大賀社長が
決め放ったというのは有名な話らしい。
そしてこの年ビートルズのアルバムのCD化が始まりLPからCDへの流れは決定的となった。
日本はCDの普及が早く先進国となった、登場後たった5年で主役が交代するといった
ことは驚きだったらしい。
1988年洋楽ロックのミュージックシーン
この年の3月海外アーティストで初めて東京ドームでライブをミックジャガーが行った、
東京ドームは88年にできているとは今から見るとかなり時がたってますね、
84年にデビューしていたレットホットチリペッパーズが大きな転機むかえた、
オリジナルギタリストのヒレルスロバックがドラックで亡くなりバンドはショックに
包まれていたのだが早くもメンバーを入れニューアルバム母乳をリリース、
新生レッチリとしてスタートを切る。
また、先ほど触れたミックジャガーとキースリチャーズがソロ活動に力を入れ始め
ローリングストーンズの解散がささやき始める、ミックはマンネリ化したバンドに
飽きがきてしまったことキースとの意見のされつ、ソロで成功したいなどの自負心が
かさなり2人がソロ活動をしてしまったなどが考えられる、メディアでは解散説が盛り上がる
だが、話し合いの末すべてを水にながしストーンズの新作を発表、その後初の来日公演を
はたす、そして現在もつづいている、80年代の危機は結構大きかったようだが、これを
乗り越えたこそいまがあるのである。
1989年洋楽ロックのミュージックシーン
1989年は日本でいえば昭和から平成になった年、1月7日までは昭和それ以降平成元年
という年である、6月にはあのニルバーナがデビュー作ブリーチを発表、
また、ザ・フーが再結成をはたしツアーを開始、現在もロジャー・ダルトリーと
ピート・タウンゼントの二人になったが活動している、サポートメンバーといて
リンゴスターの息子ザック・スターキーが2023年現在も活躍中だ、
ザック・スターキーは元メンバーのキースムーンから少年時代かわいがられていた
というエピソードがあります。
11月にはMTVアンプラグド第1回放送が開始されこれ以後何年か
アンプラグド演奏が流行っていき、有名ミュージシャンがこの番組にこぞって
出ていたのを記憶してます、アンプラグドとはプラグを抜いた、
つまり電気楽器を使わない、生楽器の事を示しつまりアコースティックを基本と
した演奏形態を表します、なんでも提案者はボン・ジョヴィである。
このアンプラグドの知名度を一番あげたのは何を隠そうあの1992年放送の
エリック・クラプトンの回である、のちの発売されたアンプラグド?
アコースティック・クラプトンが大ヒットとなりこの番組の知名度を大幅にあげました。
その他有名どころでは、キッス、ポールマッカートニー、オアシス、ロッドスチュアート
などなど大物たちはこぞって出演しています。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません