1970年代の洋楽ロックのミュージックシーン パート1

1970年洋楽ロックのミュージックシーン

1970年この年ロックの世代交代が起きる、
60年代常にトップを走っていたビートルズが英メロディーメーカー紙の
人気投票でその座をレッドツェッペリンに受け渡したのだ、
このトップ交代は70年代を象徴ものであった、

 

その原動力が69年にリリースされたレッドツェッペリン1と
レッドツェッペリン2という強力なアルバムである。この2枚が非常に影響力をあたえた。
米・英ともにチャート1位を獲得これ以降もすごい数字をたたき出している。

 

 

そのトップの座にいたビートルズも1970年に解散した。
またジミ・ヘンドリックスが27歳という若さで亡くなる、死因は酒と睡眠薬による
中毒らが証言されているが謎の死を遂げている。
ジャニス・ジョプリンもヘロイン中毒でおなじく27歳という若さで亡くなっている。

 

 

そしてこの年の社会は内省的ムード反映されていてそれに合ったかのように
ビートルズの「レットイットビー」やサイモンとガーファンクルの「明日にかける橋」が
大ヒットした。詩の内容が内に向いているものであるが共感を呼んだ。

 

1971年洋楽ロックのミュージックシーン

70年にビートルズは解散したが、このグループは違った、
そう、ローリングストーンズだ。71年に自らのレーベルを設立し進撃をはじめた年となった、
その第一弾は「ステッキー・フィンガーズ」
メンバーのブライアン・ジョーンズが亡くなりその後釜としてミック・テイラーが加入
メンバーに溶け込んでキース・リチャーズとも抜群のコンビネーションを見せ
まさにローリングストーンズの絶頂期を迎えることとなった。

 

 

そして英国を中心としたプログレッシブロックが大きく躍進していく年となった。
その代表格のピンクフロイドが「おせっかい」をリリースしLPの片面を丸ごと使った
大作「エコーズ」で独自のスタイルを確立、
イエスも「こわれもの」をリリース、高い演奏技術をいかした演奏を繰り広げた。
EL&P「展覧会の絵」をリリースクラッシックの曲をロックにアレンジするという
プログレッシブロックの得意とする手法で代表作となった。
そのほかキングクリムゾンも躍進してゆく。

 

また新世代のハードロック勢が躍進していく年となった、
68年にデビューしたディープパープルがスタイルを変え洗練されたハードロックを披露
70年発表であるが「イン・ロック」がヒット、ユーライア・ヒープが「対自核」をヒットさせ
ブラックサバスが「パラノイド」をNo1ヒットに輝きハードロックの市民権を獲得。
このほか、フリー、ハンブルパイ、ステイタスフォーなどのバンドが続々と躍進していく。

 

 

1972年洋楽ロックのミュージックシーン

この年はデビットボウイの活躍がめまぐるしい
あの名作「ジギー・スターダスト」を6月に発表
71年12月にも「ハンキー・ドリー」をリリースしいるし
この年の12月には自作の「アラジン・セイン」の録音にも入りTV出演、
ツアー、他のアーティストのレコーディングにかかわるなど多忙だった。
とくに70年代のデビットボウイの作品群や活躍は目に見はるものがあった。
そのデビットボウイも2016年に肝癌により死去69歳であった、追悼します。

 

 

また、アメリカではイーグルスが「テイク・イット・イージー」でデビュー、
彼らはリンダ・ロンシュタットのバンドで出会い、グループを結成、
70年代のアメリカンバンドでは最も成功したひとつのグループとなった。
これを共作したジャクソン・ブラウンもデビュー、
他にもJ.D.サウザー、ウォーレン・ジボンなどもいて
彼らの交友はウェストコーストロックを支えていた。
まさにウェストコースト勢の成功であった。


そしてこの年50年代にスカとして発祥したレゲエが台頭する、
発端はジミー・クリフ主演の「ザ・ハーダー・ゼイ・カム」という映画、
ジャマイカでは若者が熱狂、その他の国では初めて目にする
ジャマイカの雰囲気とクリフやメイデルスの演奏シーンに興味を沸かせた。
また、なんといってもレゲエといえばボブ・マーリー、
この年に「キャッチ・ァ・ファイアー」でメジャーデビューを果たしている。
後にデビューしたポリスやクラッシュにも多大な影響をあたえた。

 

1973年洋楽ロックのミュージックシーン

グラムロックのスターTレックスが登場する。
その中心人物のマークボランは元はといえば
さえないサイケデリックなフォークシンガーだった、
そんな自分を奮い立たせジミなTレックスが
ショッキングなTレックスへと変身させてゆく。

 

彼が売れる前の神秘的な詩才からは考えられない
シンプルなリフで作られた曲がヒットした、
しかし最大のライバルデビットボウイには勝てず74年以降失速する。
しかしながら77年のパンクブームの際に再評価を受けたが、
30歳になる前に自動車事故で他界してしまった。
後にプリンスやホワイトストライプらに影響を与えている。

 

 

また、70年に解散した元ビートルズの4人が
71年から73年にかけ精力的に活動を行った、
ジョンは71年のイマジンで評価を高め75年までコンスタントにアルバムを出し、
リンゴはこの年にアルバム「リンゴ」をリリース全米2位になっている、
ポールもウィングスを結成しこの年アルバム「バンドオンザラン」で全米1位獲得、
ジョージもバングラディシュ難民コンサートを開くなど精力的であった。

 

 

デビットボウイと同じく60年代から地道に活動をしていた
スレイド、スウィートらか71年から73年までに
ヒットを数曲送り込みグラムロック時代を華々しく飾っている。
スレイドは派手な衣装とロンドンブーツで身を固めヒットを連発し、
スウィートはヘビーさとポップさを融合させてヒット、
スレイドはグラムロックのブームが過ぎると失速していったが
スウィートはハードロック路線に進み70年代後半まで人気を維持していく。

 

 

1974年洋楽ロックのミュージックシーン

この年あのクイーンがヒットを飛ばす、すでに73年にデビューしたが、
ファーストアルバム「戦慄の王女」がメディアに散々酷評された。
しかし、74年3月に発売のアルバム「クイーンⅡ」が好評を得ると
続く3作目11月発売の「シアター・アタック」ヒット、
シングル「キラー・クイーン」が全英2位を記録彼らのポップ要素が開花し
ここから快進撃がはじまり、あの歴史的名盤「オペラ座の夜」が生まれていくのである。
また、彼らは英米で売れる前に日本で売れ親日家でもあり、
お礼に日本語のナンバーも披露している。

 

 

また、70年代初めはイギリスのハードロックの勢いが強かったが
ここにきてアメリカのハードロックが台頭してきた、
特に東海岸から登場したキッス、エアロスミス、
ブルー・オイスター・カルトらがあらわれ
リフ主体のスピィーディなロックで地位を築いていった。
そんな彼らを筆頭にシカゴからはチープ・トリック
デトロイトからはテッド・ニュージェント、テキサスからはZZトップ、
カナダからはハートやラッシュが台頭
イギリス勢に代わり、アリーナを沸かせていくのである。

 

 

ほかには、電子音楽のビートルズと言われた
クラフトワークが「アウトバーン」でヒット。
彼らははじめてモーグシンセサイザーを使いアルバム作ったが
それ以前に市販品を改造して電子機材を自作していたし
彼らのアイディアやビジョンは当時の技術より先行していた。
このヒットを契機に多くのアーティストが電子音楽に傾倒。
日本ではYMOが登場しヒットしたのは有名。
またクラフトワークの音楽は電子音楽ばかりでなく、
ヒップホップやハウスの誕生から発展に波及した。

 

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