これを聞けばOK!70年代洋楽の名盤 ロック編パート8

これから70年代のロック名盤を探しているというあなたにとって、
何から聞いたらわからないですよね、そんなあなたにメジャーなものから
少しマイナーなものまでこのサイト独断ではありますが紹介します。

 

 

70年代のロックというのは多様化しはじめて,
いまの基盤となるサウンドやアーティストが多く出て来た時代です。

 

 

まさに黄金期です。それゆえに名盤が非常に多い時代でもあります。
数多くある名盤からあなたにとっていいものが見つかれば幸いです。

 

 

ジョージ・ハリスン オール・シング・マストパス

 

 

今回は追悼ということでビートルズのメンバー2人の名盤を紹介します

 

 

 

まずジョージ・ハリスン、彼のもっとも名盤とされているオール・シング・マストパス、
去る11/29は彼の命日であります、2001年に病のためになくなりました、58歳という若さでした。

 

 

 

ジョージ・ハリスンは、ビートルズでは主にリードギターを担当していた。
解散後に近くに習得したスライドギターは高い評価をうけている。
発表したアルバム枚数はそう多くないものの、
常にチャートでは上位に食い込み、たびたび大ヒットを飛ばした,

 

 

 

ビートルズ時代は、どうしてもジョンやポールの影にかくれて、
めだたない存在で彼の自作の曲もアルバムに2,3曲と
自由にリードギターを弾かせてもらえないなどで不満を募らせるていました。

 

 

 

でも、ビートルズの中でもっとも外部ミュージシャンとの交流が盛んだったのも彼であった。
これは彼の人柄によるものが大きいようです。

 

 

 

で、彼がビートルズ時代から温めていた楽曲を解散後いっきに発表したのが
このオール・シング・マストパスであります。
発売当時はLPの3枚組みでありながら米英チャート1位を獲得するなどその完成度の高さから、
今もなおロックの名盤として評価されています。

 

 

 

このなかでのシングルヒットは有名な「マイ・スウィート・ロード」
(全英・全米第1位、日本4位)、で2000年にも別バージョンで発売しています。
エリック・クラプトン、リンゴ・スター、バッドフィンガー、ビリー・プレストンなどの
豪華ミュージシャンがレコーディングに参加しているようです。

 

 

 

そしてなくなった翌年だと思いますが親友エリック・クラプトンの呼びかけで
生前から親しかった仲間を集め、追悼コンサートも行なわれています。
私もこの追悼コンサートを見ましたがすばらしいメンバーが集まりジョージの曲を演奏しています。

 

 

 

 

 

 

 

ジョン・レノン[ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ]

 

 

12/8はジョン・レノンの命日であります。上記のジョージ続いて紹介います。

 

このアルバム1986年ジョン・レノンの死後に発売された、ライヴアルバム、
録音は1972年ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでおこなった音源であります。
そのためこれは一応70年代のカテゴリーにいれました。

 

 

彼の正式にリリースされているライヴは、これと、カナダのトロントで行われたもの
2枚しかなく貴重なアルバムといえるでしょう。私もビデオ、アルバムともを持っていますが、
丸いサングラスでレスポールジュニアを持って演奏する彼の姿が印象的でした。

 

 

ここでは、カム・トゥゲザー、イマジン 、平和を我等に などを演奏しています。
そしてこのニューヨークをこよなく愛したジョン、1971年9月にニューヨークへ移住。
80年12月に凶弾に倒れるまで9年間を同地で過ごした場所.

 

 

「追い出す気なら暴れてやるさ、自由の女神が招いてくれた、最高のまちだぜニューヨーク」
と語っています。それだけニューヨークは彼にとってすばらしい街だったのですね、
そこで殺害されるなんてとても残念です。

 

 

 

2011年にはそのニューヨークでの彼の後半生の映像の決定版も公開されDVD化されています。
ファンには必見ですね。彼が亡くなって、40年以上になりますが、
まだまだその存在はロック界にも我々にも大きいものとなっています。